こんにちは、 はるです。
今日は、好き勝手生きてきた、20代-30代の話をしようと思います。
会社員生活
20歳の短大生、
バブル真っ只中だった頃 私は就職活動を迎えました。
みんなが、バタバタ決まっていく中、
私は、呑気に構えていました。
単なる事務職になりたくないと思っていました。
私は、何を思ったのが、当時事務職より2万高かった
営業職! 企業専門のプロ集団?!詳細は忘れちゃったけど
なんか かっこいいタイトルがついてて
今、考えてみたら
そのコピーライティング力にやられてしまったのだ。
かっこいタイトルがついていたけど、要は
保険のおばちゃんだ。いや 当時は20歳だから
保険のオネーちゃんか!
社会は厳しくて、いっぱい怒鳴られた。
1年目は結構契約取れた。でも実力ではない
担当の企業の方が若干20歳で怒鳴られている私を見て
同情で、契約してくれただけだった。
1年目は固定給だけど、2年目から歩合制
一人暮らしだった私はちっとも稼げる気がしない
そもそも、なんで20歳なのに、私保険のおばちゃん
やってるの?という思いであっさり1年で辞めてしまった。
当時は、まだまだ日本も景気が良く、あっさり
転職もできた。
次に勤めがところは、不動産会社。
社員旅行は海外旅行
なんだか、本当にバブルという感じだった。
ここの会社員生活は まあまあ楽しかったが
自分より、7-8年早く入った女性社員を見ても
成長しているようには
思えなかった。
こんなところで、私は若さを使ってもいいのか?
そんな気持ちでここも1年半ぐらいで辞めてしまった。
辞め癖がついていたので、辞めることに対して何の躊躇もなかったのだ。
ワーキングホリディー
会社を辞めた私は、ワーキングホリディー制度を利用して海外に旅立った。
当時は、25歳までだったので、(現在は30歳までになったらしい)
23歳だった私は、今、行かなきゃいけない!と思い行ってしまったのだ。
ワーキングホリディーそれは、アルバイトしながら海外で暮らせる制度
現在は15カ国で受け入れてるらしいが
私が行った時は、まだオーストラリア、カナダ、ニュージーランドの
3カ国で 私が選んだ国はオーストラリアだった。
それは、、それは刺激的な生活で、詳しい書きたいけれど
ここはビジネスブログなので
詳しくは後で書こうと思う!
派遣生活
20代でもう私の派遣生活は始まった。
最初には派遣社員を見たのは、
不動産会社で、安月給の会社員の時
派遣社員ではいってきた30代の女性
仕事ができる女性で
時給が高くて、私たち安月給の会社員よりも
月給にしたら私たちよりもらっていた。
派遣社員という響きは、その頃は
全然ネガティブなものじゃなかった。
そして、20代最後から30代の初め頃
私は、初めての派遣社員生活を送ることになる。
自分の実力では到底入れないような
大手の企業に派遣されたので、
頭のいい社員さんに
仕事などを教わったり、いろんな
プロジェクトも参加させてくれたり
飲み会や、イベントなども誘ってくれたりして
とても楽しい派遣生活だった。
自分が若かったし、たまたまその企業の
人たちが良かったのが
派遣も生活も、悪くはないと思っていた。
がしかし、
大手大企業だけあって、
社員さんたちの給料と単なる派遣社員の
東京で一人暮らししていた私とでは、
私の給料は、生活ギリギリ。
社会人なのに、たまにバイトもしていた
いつまで、こんな生活が続くんだろーとか
虚しいなーとか
また海外行きたいなー
またムズムズしてたところ。。。
グループ秘書ををやっていた私は
ある日、1本の電話を取った。
それは、今考えて見れば自己啓発セミナー系のセールスの
電話だった。
はっきりとは覚えてないが、
職場にかかってきた電話の向こう側の方と
少し話している間に、言われた言葉、
電話口の相手: ”夢はありますか?”
私 : ”あー漠然とですけど、海外でちゃんと仕事してみたいです。まあ無理ですけど”
電話口の相手:なんでそう思うんですか?
私 : ”だって無理じゃないですかー。。。。”
電話口の相手:決めつけてはだけですよ。まだ何もしてないないじゃないですか?
最初から無理だって思ったら、それまでなんです。
できると信じで、それに向かって行動を1歩1歩していけばいいんです。
こんな会話がなされた。
そうかそうか、アルバイト程度だったらワーキングホリディーで
経験していた私は、いけるかもしれないなーと
思って例によってまた会社を(派遣社員を)辞めてしまった。
海外生活
10代頃は 商店街の懸賞で当たり、商店街の人たちと添乗員つきツアーで初めての海外へ。
20代の頃は、チケットだけで個人旅行、ワーキングホリデーで1年滞在、メキシコへ語学留学
など、いろいろやってきた。
30代、それでは飽き足らず、イスラエルにボランティアに行った。
その後またオーストラリアへ 専門学校や大学にも行った。
大変なこともあったが、充実した30代だった

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