全然心の準備ができないまま、親の死を経験し、感じたこと

再挑戦ストーリー


8月2日
その日は、ビジネスのコンサルをしてもらい。
夕方からロッテリアにいった。仕事して、帰ろうとおもったときに
遠方に住んでいるお父さんに電話しようと思った。
でもしなかった。家に帰ってからゆっくり
電話すれば良いかと思ったからだ、
もしその時電話してたら、最後に会話できていた
そのときしたらお父さんはまだ生きていた。
そして、家に着いたらお父さんから郵便物が
届いていた。定期的に何か送ってくれる
子供思いの良いお父さんだっだ。
家に帰ってから仕事の続きをしていて
すっかり家に帰って電話するのを
忘れていた、夜9時すぎのことである。
姉から電話がかかってきた。
姉 お父さんが死んじゃった。
え、何日前に喋ったぞ
パニックパニックである。
とりあえず、即、実家に帰られけらば
ならない。
もう、新幹線は終わっているので
次の日の朝一番の新幹線で行かなきゃいけない
それまで、お葬式とかいろいろ諸々
あるからしばらく帰らなければいけない
とりあえず、2、3日後に別の土地に
友達とライブに行く予定で、
友達に事情を説明して、
昔から知っている
信頼できる友達だったので
こっちは何も心配しなくても良いから
って言ってくれて
とっても助かった。
まだ、なんか信じられない
泣くに泣けない。
部屋を片付けようにも
ボー然として片付けられない
結局朝まで、眠れず
朝一の新幹線でほぼ荷物をもたないまま
パソコンぐらいだけ持っていった。

実家の最寄りの駅に着くと
姉の旦那が迎えにきてくれた
そして家に着くと、いつも寝ている
布団に父がいたのだが、
眠っているようだった。
本当に死んだなんて信じられない

だって数日前まで元気だったのに。

当日は、葬儀のひとが、打ち合わせしにきてくれて、
おばさんや、親戚の人が駆けつけてくれた。
こういう時、私はダメダメだった。
何もできず、呆然としてしまった。
次に母が亡くなるときは、自分が
喪主にならなければいけないのに
全然だめだめだ
思えば、数十年前の
祖母がなくなったときも
何もできなかった。
今回の父のケースは
糖尿病だったとはいえ、
全然元気だった。
最後にあったのは、正月で
私は、お盆を終わってから
帰ってくるつもりだった。
思い起こしてみれば、
父が今年の夏は暑いから
夏を実家で過ごさないか?
と提案してきた。
私は、どこかに所属してるわけでもなく
パソコンで仕事をしていたので
帰ろうを思えば帰れた
でも、帰らないかった
でも、この父の死を経験して
とてつもなく落ち込んだ
何も手がつかなくなった。
自分でやってるビジネスも
うまく行かなくなって
他にもいろいろ問題を
抱え、うつ状態に陥ってしまった。
毎日、ボーッとしてない
何もできない状態に
なってしまった。
夜も寝れないし、病院に行って
薬をもらうだけ、
特に改善策はなしである。
今までもうつ病までは行かなくても
うつ状態になったことは
何度かある。
でも今回の場合は、呼吸が
ちゃんとできない
常にちっちゃな過呼吸状態で
え、普通の状態って
どんな感じだったけってすら
忘れてしまう。
その時は、精神安定剤に
頼って、心を落ち着かせていた。
1日中ベットの中にいて
動けない日々
1日何も食べないと
気力も失われていく
歩いて、3分のスーパーが
海外に行くぐらい
遠く感じられた。
1週間ぐらいして
意を決してスーパーに行き
また1週間分ぐらい
食糧を買ってくる
そして、また1週間ベットの
中で過ごすという日々。
自分が大好きなタレントさんの
情報まで見れなくなった
本当にこんなに好きだったものまで
興味がなくなるんだなあ
興味がなくなるというか
何をする気力もない、
天井をただ見つめていた。
でも途中で頭の中の
自分は余計なことを
考え始めるので、
最初は、YOU TUBEでの
人生に絶望した人へとか
うつ病とかと検索して
そんな動画みていたのだが
だんだんそれを見ると
ますます気分が落ちてきて
次第に、海外ドラマシリーズの
24を見るようになった。
これは、うつ状態で見たら
全く意味が分からなくて
話が入ってこないと思うが
私は何回か見たことがあった
だから大体のあらすじは知っている
でも細かいところは忘れているので
また見直すと、次から次へと
止まらなくなって
面白かった。
今まで、呼吸が苦しかったのが
いろんなことを一旦忘れて
海外ドラマに夢中になっている時間は
途中で薬が切れても
ちっちゃな過呼吸状態にならなかった。
こうやって私は少しずつ
薬を減らした。
こんな生活をすること半年、
さすがに力尽きてきて、
母親が迎えにくることになった
しばしの間、実家に帰ることになったのだ。
でもこのうつ状態の中
全く引越しの手配をできる気がしなかった。
そこは、ほぼ家族を思えるような
大事なお友達がいてくれた
おかげで、手配を全部手伝ってくれた。
ものすごくありがったかった。
これからまた一から生活を
立て直す時だが、いかに
親が倒れる、自分が倒れる
身体は元気でも、心が死んじゃう
場合もある。
そんなときのために
どこかに所属しなくても
稼げる自分でありたい
と強く思った。
前から思っていたのだが
やはり覚悟が足りなかったのだ
なんか考え方が甘い
正直今もまだ甘いのかもしれないが
2020年このブログをとうして
変わっていこうと思う

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